老いてたまるか!

残された人生で今が一番若い!山旅と雑記のブログ

我、神仏を尊びて、神仏に頼らず

宮本武蔵の名言だ。

先週、三大修験道の山、英彦山で拝礼する時に、思い出した言葉だ。

宮本武蔵は、過去何度か映画やテレビドラマ化され、吉川英治が書いた本も読んだことがある。

この名言は、本やドラマでの僕の記憶では、武蔵が、吉岡伝七郎(吉岡一門)との対決に、京都の三十三間堂に向かう道すがら、路傍の祠(ほこら)を見つけ、手を合わそうとするが、この言葉を言って、黙礼をして通り過ぎる。

宮本武蔵が書いた独行道では、有名な”一乗寺下り松の決闘”に向かう途中必勝祈願に立ち寄った八大神社での心境だと書いている。

如何なる逆境に立たされても、神頼みする精神状態では勝てないと言うことだろう。

宮本武蔵は、独行道の他にも有名な五輪書を書き上げている。これらの内容は、時代を問わず通じるものもある。

宮本武蔵

美作国宮本村(岡山県)で生まれ(説)で、五輪書によれば13歳で初めて有馬喜兵衛と決闘し、その後30歳まで66回の決闘を行い、全てに勝利している。

晩年は、肥後(熊本県)の細川家に世話になるが、その間の足跡は不明な部分が多い。

武蔵は、彫刻や水墨画、そして禅の修行もしている。晩年は、熊本の金峰山霊巌洞に籠り、生涯の集大成である”五輪書”を書き上げている。

吉川英治の本と真実とは、かい離していても、決闘・果し合いが認められていた時代に、命をかけて、何十回も真剣勝負を行い、62歳まで生きていたのは紛れもない事実だ。

その勝負師が残した書の奥深さは、推して知るべしだろう。

吉岡一門と決闘

宮本武蔵の決闘の中で、有名なのは巌流島での佐々木小次郎との決闘だが、生涯で一番重要な決闘は、吉岡一門との決闘だろう。名言をもたらした決闘でもあり、武蔵の名を世に知らしめた決闘でもある。

本では、武蔵は弱冠21歳の時、江戸初期に将軍家の兵法指南役を努めた吉岡道場に道場破りに行き、門弟たちを倒し、師範の清十郎に挑戦状を送る。

清十郎との決闘に武蔵は、わざと遅れて行き、心を見出した清十郎を一刀で倒す。

吉岡一門は兵法指南役の名誉にかけ、清十郎の弟、伝七郎が武蔵と決闘する。この時、決戦の場、三十三間堂には、吉岡門弟一同が待ち構えている。武蔵は、今回も遅れて行く戦法をとって見事勝利し逃げ延びる。

最後の決戦に、吉岡一門は12歳の吉岡源次郎を大将に立てる。有名な”一乗寺下り松の決闘”だ。ここに向かう途中の八大神社に立ち寄り、拝礼することなく立ち去り、その時の心境を「我、神仏を尊びて、神仏に頼らず」と”独行道”に記している。

この対決で武蔵は、これまでと違い先に乗り込み、下り松を見渡せる場所に潜み、門弟数百人が集結し配置する様子を確認している。12歳の大将、源次郎を見極めた武蔵は、門弟たちの背後にまわり、元服前の源次郎を打つ。

武蔵の奇襲攻撃で虚を突かれ慌てる門弟たちを斬って突破し、九条大宮の「観智院」に身を隠したと言われる。

武蔵は、五輪書で、”同じ戦法は二度は良いが、三度はいけない”として「山海のこころ」と表現している。敵が山と思ったら海、海と思ったら山と意表をついて仕掛けるのが兵法の道と言うことだ。

吉岡一門との対決も、二度は遅れて行き、また遅れてくると思わせ、三度目は、早く行って相手の虚をついた。

武蔵は、二刀流「二元一流」の開祖であるが、群を抜いて長けていたのは兵法であったのだ。

五輪書

武蔵が、兵法の奥義を、地・水・火・風・空の五つにまとめ上げた書だ。

僕は、剣道をしていたので、現代語訳版を読んだことがあるが、剣術書なので一般の人には非常に難しい。ただ、言葉の端々になるほどと思う所も多い。

地の巻〜戦いの人生の心得を説いている。精神論と言っても良い。 

水の巻〜戦いに臨む構えを記している。

”千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす” ”近きところを遠く観て、遠いところを近く見る”という名言がある。「水」のように自在な構えに関する記述だ。

 火の巻〜実戦における戦いのコツが記されている。太陽を背に戦ったり、苛立ちや迷いを誘うなどの心理的な駆け引きについても記されている。

風の巻〜他流派を批判し、二天一流こそが真実である主張をしている。他流派が奥義とする太刀の使い方や足運びは、狭い場所や川の中では通用しない。戦いに勝つには全く価値がないと記している。

空の巻〜締めくくりの巻で人生の道を説いている。

”空を道とし、道を空とみる”という名言が記されている。ここまで来ると凡人では理解できない。

相手を斬るという目標に対し、あらゆる角度で分析し、体験のもとに記しているが、興味深いのは、精神論の記述だ。経営者の人などは、読む価値がある書物だ。

独行道

武蔵が、死ぬ数日前に病床で残したとされる21箇条の誓いの書だ。

一、世々の道をそむく事なし。
一、身にたのしみをたくまず。
一、よろづに依枯(えこ)の心なし。
一、身をあさく思、世をふかく思ふ。
一、一生の間よくしん(欲心)思はず。
一、我事におゐて後悔をせず。
一、善悪に他をねたむ心なし。
一、いづれの道にも、わかれをかなしまず。
一、自他共にうらみかこつ心なし。
一、れんぼ(恋慕)の道思ひよるこゝろなし。
一、物毎にすき(数奇)このむ事なし。
一、私宅におゐてのぞむ心なし。
一、身ひとつに美食をこのまず。
一、末々代物なる古き道具所持せず。
一、わが身にいたり物いみする事なし。
一、兵具は各(格)別、よ(余)の道具たしなまず
一、道におゐては、死をいとはず思ふ。
一、老身に財宝所領もちゆる心なし。
一、仏神は貴し、仏神をたのまず。
一、身を捨ても名利はすてず。
一、常に兵法の道をはなれず。

晩年は禅の修行を行っているので、宗教色が強いものだが、人生の道標になる言葉もあるのではないか。