この山は、佐賀市の北部に位置し、脊振山地の南端にあたる標高502mの低山だが、徐福伝説や山本常朝の乗訓碑もあり、金立水曜登山会なるものがあるなど、歴史もあり地元にも愛されている山らしい。・・と言うことで登ってみることにした。
金立山(きんりゅうさん)登山
金立山の全景、今日はすこぶる天気がいい。鳥栖の自宅から30分位で到着した。
金立キャンプ場駐車場、朝の9時30分だが平日の割には車も多い。この横が登山口だが、ここの標高が約100m、山頂が約500mなので標高差は400m程度だ。
登山道は、分かりやすいがルートが多いので登山アプリを見ながら登るが、それでも計画とは違うルートを進んでしまった。
カエル岩・・・なるほど!
金立神社上宮、金立神社は、山麓に中宮、そして麓の金立町に下宮があって、山頂には奥の院がある。
案内によると、創建は明らかではなく平安時代に位を賜った由緒の古い神社で、ご祭神は、保食神祭神(うけもちのかみ)、岡象売命(みずはめのみこと)、秦の徐福の三神、神殿は・拝殿は御影石で作られている。
この三神は聞き覚えのない神ばかりだが、中国人(徐福)を神として祀っている神社は日本でここだけだとか・・。
金立神社上宮の裏にある「湧出御宝石(ゆうしゅつおたからいし)」、パワースポットらしい。
金立神社奥の院の鳥居、この奥が山頂で祠がある。
山頂到着、木が生い茂っていて展望はない。
山頂には奥の院の祠があるが、徐福伝説によるとこの山頂で徐福が天女?から不老不死の霊薬を手に入れたとか・・・。
山頂直下の休憩所だ、佐賀平野方向は見渡せないが、先週登った脊振山がよく見える。
下りは別ルートで下る。
中腹まで下ると正現稲荷神社がある。
案内によると、今からやく1200年前、僧の行基(ぎょうき)が諸国を行脚した際、この地に「岩蔵寺」(すでに廃寺となっている)を建立し、この寺の守護神として京都の伏見稲荷神社から勧請したのがこの正現稲荷神社だそうだ。
ここには社務所があり、お守りやおみくじ、御朱印も置いてある。
稲荷神社の鳥居といえば赤色なので目立つし壮観だ。どうでもいいが、赤色は稲作に必要とされる陽光や温かさを運んでくると考えられ、魔除けの色ともされている。
この赤色の原料となる丹(水銀)は、木材の防腐剤の役割も担っているらしい。
GPSログ
とにかくこの山はルートが多い。案内図を見るとまるで”あみだくじ”みたいだ、往復で2時間強なので、午後からでも登れる手軽な山だし、別ルートで登ってみたくなった。
金立水曜登山会
登山口に金立水曜登山会の張り紙があった。コロナ蔓延防止期間の2月16日まで休会するようだ。この会は参加無料で悪天候以外は年中無休、その回数も550回を超えているとか、9時頃にキャンプ場駐車場集合らしいので参加しても面白いかもしれない。
ついでに徐福伝説の話
今から2200年前、徐福は秦の始皇帝から不老不死の薬を探す命を受け渡来したとされ、全国に徐福にまつわる伝説が残されてる。(そう言えば、去年行った熊野地方にもあった。)
佐賀でも佐賀市を中心に数多く残っているらしく、その一つが、「金立山山頂で仙人(天女?)に会い、不老不死の霊薬を手に入れた。」これはフロフキといわれ、現在でも金立山に自生していて、このフロフキは不老不死がなまったものともいわれているらしい。
しかし、これらの伝説に実証性はなく、徐福が日本に渡来したのではないかという中国の伝説が日本にも伝わり、多くの伝承が創作されたという話がある一方、近くにある吉野ヶ里遺跡で多くの中国人の人骨が発掘されてたことから、徐福伝説を肯定する話もあるとか。
山本常朝の乗訓碑
登山口の近くに”歴史公園はがくれの里”と言うのがあるので、寄ってみた。
駐車場から200m歩くと山本常朝の乗訓碑がある。
山本常朝は、二代佐賀藩主鍋島光茂に仕え、光茂が没した元禄13年(1700年)に、金立町に隠棲。同藩士田代陣基が常朝を訪れ武士の心構えや生き方などを聞き、これを筆録したものが「葉隠」ということだ。
葉隠と言えば、「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」の文言で不朽の武士道書と言われる。三島由紀夫はこの書だけは肌身離さず持っていたとか、読んだことがないので読んでみるか・・・切腹したくなるかも!