西吾妻山に登った後、東北を後にし北関東は栃木県に入った。
昨日、日光市内の道の駅に来たが小雨が降っていた。今日の天気は、午前中晴れの予報だったが、朝起きると、男体山の天気は降水確率40%に変わっている。
山で40%は、ほぼ雨・・・と言うことだ、登山を諦め、折角、日光にいるので東照宮に行くことにした。
日光東照宮
案内によると日光東照宮は、江戸幕府初代将軍、徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀っていて、全国の東照宮の総本社的存在ということだ。
現在の社殿群は、そのほとんどが寛永13年3代将軍家光による「寛永の大造替」で建て替えられたもので、境内には国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟の建造物が並ぶ、日本を代表する世界遺産だ。
登山の予定で早く起きたが、拝観時間は午前9時から、混みそうなので8時30分頃駐車場に入り、車内で横になって時間待ちをして、午前9時になって出向いたが、驚いたことに修学旅行の小学生でごった返している。
一番近い駐車場に停めたので、5分とかかっていないのに、300人?いや500人はいる、しかも、まだまだ後から来ている。
引率の先生が、先導して、何やら説明をしているが、後ろの方の生徒は聞いていない。
かと思うと整列して写真撮影をしたりしている。これには参った!
写真を撮ろうと思っても子供がごった返しているので、思ったような写真も撮れない・・・、それでも、何とか撮った写真があるので載せておこう。
五重塔
慶安3年(1650)若狭の国、小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された。火災により焼失したが、文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建されたらしい。
神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)
有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻の神厩舎だ、ご神馬をつなぐ厩(うまや)で昔から猿が馬を守るとされていることから、猿の彫刻が8面ある。
人間の一生が風刺されているという。
陽明門(ようめいもん)
日本を代表する最も美しい門でといわれ、いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれるらしい。故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がされている。
眠り猫(ねむりねこ)
これも有名だが、左甚五郎作と伝えられていて、牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたと言われてる。
眠り猫の門をくぐり、汗をかくほど階段を登ると、家康の墓「奥宮(おくみや)」がある。
周りに大名や家臣の墓はなく、家康の墓と縁起の良い鶴、亀が飾られてる。
実は家康は日光に一度も来たことがないらしい。なぜ日光に東照宮を立てたのかというと、風水の鬼門という考え方かららしく、鬼門は、建物の北東の方角のことをいい、神様の通り道なので、北東の位置を綺麗にしていると願い事が叶うとされていた。
ここ日光は日本で最も高い山である霊峰富士山から見て北東に位置するためにここに決めたということだ。
二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)
修学旅行の小学生から逃れ、日光東照宮に隣接する、二荒山神社に向かう。
二荒山神社は日光山信仰の始まりとなった古社で、僕が登ろうと思っていた”男体山”をご神体としてまつり、古くから信仰を集めていたということだ。
昔は、”二荒”をにっこうと読んでいて、それが地名の日光になったことから、以後”ふたあら”と読むようになったらしい。
二荒山神社の主祭神は招福や縁結びの神様、大己貴命(おおなむちのみこと)が祀られているので、縁結びのご利益で人気らしい。
左は、良い縁笹の輪くぐり、3回くぐると良縁に恵まれるらしい。右は、良縁うさぎ!
うさぎがいたかと思うと、開運ねずみもいる。右は、良縁ハート板投げで、ハート板に願いを書いて“ご縁柱”に投げ当てるという。
左は、開運大太刀、南北朝時代の大太刀で”太郎丸”というらしい、右は良い縁の社、
これだけ、良縁、開運の”小道具”があるのも珍しい。
他にも、結び札や良縁成就絵馬、良い縁菓子占いなどがある、びっくりだ。
そして、最後に良縁の剣、御神体の男体山などに見立てた日光連山遥拝所になっている。
日光山輪王寺
案内によると、日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人(しょうどうしょうにん)により開山された。
以来、平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が伝えられ、鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えた。
江戸時代になると家康公の東照宮や、三代将軍家光公の大猷院廟が建立され、日光山の大本堂である三仏堂と共にその威容を今に伝えているということだ。
そして、上の写真が、その三仏堂だ、全国でも数少ない天台密教形式のお堂らしい。
寺院内には、三代将軍家光公の霊廟、家光廟大猷院(いえみつびょうたいゆういん)がある、いわゆる家光の墓だ。
日光東照宮に比べると規模も小さく華やかさも抑えられ異なる趣となっているが、目立たない部分に技巧が凝らされているらしい。
大猷院の建物は日光東照宮の方角を向き、見守るように建っていて、家康への敬愛の現れと言われている。
これが、皇嘉門(こうかもん)で、家光公御廟の入口の門ということだ。従って、この奥に家光公の墓があるということだが、非公開となっている。
観て回った、日光東照宮、二荒山神社、輪王寺の二社一寺は、「日光の社寺」としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
神社仏閣というのは、本来、厳かであり、静寂であり、気を沈め、落ち着かせてくれるもののはずだが、修学旅行の一行にやられた!
一行のおかげで足速に観て回ったが、それでも2時間かかった。他にも周辺には観光スポットや土産物屋などが立ち並んでいる。一日かけてゆっくり見て回るのがいいだろう、修学旅行のない時期に!
さて、9月26日に旅に出たので3週間近くが経とうとしている、来週火曜日頃までは天気が悪い・・・帰路に着くとするか!