前々日は、栃木県にいたが、何処もかしこも天気が悪い、天気予報だけ見ると南下したほうが良さそうだが、まだ帰路に着くつもりはないので、北上し福島県に入っていた。
福島と言えば、難攻不落の名城「鶴ヶ城」がある。あとは白虎隊と赤べこか?
ということで鶴ヶ城に行くことにした。
鶴ヶ城とか若松城とか分かり難い。正式には若松城だが、福岡県に同名の城があるため別名の鶴ヶ城が一般的、ただ、会津若松城とも言うらしい、めんどくさい!
10時以降は雨予報だったので、8時30分の開館時間に入った。
駐車場は3箇所あるが、一番近そうな西出丸駐車場に入り、梅坂というところを通ると直ぐに天守がある。
素晴らしい、白壁に赤瓦が印象的だ。
写真にはないが、城内には桜の木が多い、桜の名城でもあるとか。
そもそもこの城は、明治政府による廃城令で石垣以外の建物は解体されたが、昭和35年に復元されたものだ。
天守は、「郷土博物館」になっていて、今年の4月リニューアルオープンしている。
案内には、
歴史に秘められた「物語」をデジタル技術で体験、五感で楽しめる文化観光案内”城”へ生まれ変わります。
歴史的な建造物が蘇るVR体験や、歴史に秘められた物語を五感で楽しむことができ、まるで時間を超えたような体験ができます。
そして、現代の会津若松市を巡ると、ワクワクする体験ストーリーをお楽しみいただけます。
と書かれている。
天守の入場料は520円、写真は入口だが、頭の上に石柱が横たわっている、こんな天守の入口はなかなか見ない。
この城の石積みは、「野面(のづら)積み」という積み方で、自然石を組み合わせて積み上げるが、約400年前の震度6以上の大地震にも持ちこたえたそうだ。
城内は、案内のとおりプロジェクターによる映像説明が随所に見られ、藩の歴史、幕末の動乱、ゆかりの先人など、子供でも興味を惹きそうな仕掛けがしてある。
興味があったところだけ書くと
主な城主 蘆名氏、伊達政宗、蒲生氏、上杉景勝、加藤氏、保科氏(松平に改姓)
難攻不落の城(戊辰戦争)
1868年(慶応4年・明治元年の干支が戊辰)、9代藩主、松平容保(かたもり)の代に戊辰戦争が起こり、会津若松城は薩長両藩を中心とする新政府軍に攻められ、1ヶ月の籠城戦にも耐え落城しなかった。
最後は白旗をあげて降伏するが、堅固な城は難攻不落と称された。
これは、秀吉の命により会津藩主となった蒲生氏郷の城造りの功績と評価されている。
ちなみに、鶴ヶ城の名前の由来は、氏郷の幼名が「鶴千代」であり蒲生家の家紋に鶴が入っていたためらしい。
白虎隊
会津藩は軍制をフランス式に変え、精神論ではなく戦力に重きをおき、玄武隊(50歳以上)、青龍隊(36〜49歳)、朱雀隊(18〜35歳)、白虎隊(16〜17歳)の年齢による組織に改めた。
朱雀隊を主力として第1線に配置し、それに続く青龍隊に国境を護らせ、玄武隊、白虎隊は、その予備に廻るという布陣。
なので、白虎隊が実際の戦闘に出ることはなく城中の警護にあたっていた。
しかし、戊辰戦争が始まり、戦場が会津に移ると藩主松平容保は、白虎隊に出陣命令を下す。
白虎士中二番隊(上級武士の子供)は、戸ノ口原の戦いに敗れ、炎に包まれる鶴ヶ城を眺めながら、飯盛山で全員自決した、中には白虎隊に入るため歳を偽った15歳の少年もいたとか、悲劇だ!
3年前に登った磐梯山は雲の中。
天守の入場料で「麟閣」と言う茶室に入れる。お抹茶(お菓子付き)600円。
これは何かというと千利休の子、少庵の茶室らしい。
千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられたが、利休の死で茶道が途絶えるのを惜しんだ会津藩主蒲生氏郷が、利休の子である”少庵”を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に願い出た。
結果、秀吉の怒りは収まり、少庵が京都に帰って千家を再興することを許した。
少庵が、会津にかくまわれている間、氏郷のために作ったと言われているのが、この「麟閣」ということらしい。
戊辰戦争の間、城下の茶人、森川善兵衛が茶室が失われてはと麟閣を自宅へ移築し、以来森川家は120年にわたり、麟閣を保全してきた。
そして2000年 (平成2年)、麟閣は現在の場所に移築され、県の重要文化財に指定されている。
面白いことに、千少庵の孫によって武者小路千家、表千家、裏千家の三千家が興され、今日の茶道に至っている。
ということは、氏郷が少庵を助けなければ、今の千家茶道は存在しなかったかもしれない・・・歴史はロマンだ!
城内に荒城の月の碑がある、荒城の月は大分県の岡城跡がモデルだろう。
瀧廉太郎は大分市出身だし・・・。
と思い案内などを見ると、作詞したのは、土井晩翠という人で、出身地の仙台の青葉城と修学旅行でも来た、この鶴ヶ城をモデルに詩を書いた、それに瀧廉太郎が出身地の岡城址を思い曲をつけたということだ。
なので3箇所に碑があるらしい。
余計な話
天守を順路に従い回り終わると土産物が並ぶフロアーに出る、そこを通らないと出られない仕組みだ。
土産物は、会津漆器から赤べこ、陶器まであったが、その中に「ならぬことはならぬものです」Tシャツがあった。
これは、白虎隊も学んだ会津藩校、日新館の教え「什の掟」のことだ。
Tシャツの背中に
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
と文字が入っていて2,500円!
面白そうなので買おうか迷ったが買わなかった、買っても良かったかな?
市内に米沢という道の駅があって、米沢牛の専門店が入っている。
しばらくは雨模様だし米沢牛でも食ってやろうと思ったが、150gのサーロインで7,500円、フィレだと9,500円する、米沢牛高すぎ!
道の駅内をうろついていたら、半額シールのついた米沢牛の弁当発見・・・、今日はこれで我慢しよう。