今日は親父の7回忌の法要だった。
僕の実家は浄土真宗の檀家なので住職に来ていただいて読経をしてもらい、その後、わずかな時間だったが、説法をいただいた。
僕は、神社、仏閣やお城などの古い建物を訪ねるのは好きだが、どちらかというと現実主義で、信心深い方でもない。
しかし、ロシアがウクライナを侵略している現実を見ると何やら考えさせられるものがあるので、説法を忘れない内にアウトプットしておくことにする。
一つ目は、葬儀にしろ、法要にしろ故人を偲び供養するものだが、死を見つめることによって生きるということは何かを自分に問う機会でもあるということ。
二つ目は、世の中とは社会とは、人と人の繋がりでもある。合掌して手を合わせるということは、この場を含め人の繋がりを大切にするという意味もあるのではないか。
三つ目は、親鸞聖人の教え(ペーパー配布)
抜粋:真実の言葉を集めて往生の助けにしよう。なぜなら、前に生まれるものは後のものを導き、後に生まれるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。それは、数限りない迷いの人々が残らず救われるためである。
・・・宗教は深い。
戦争を仕掛けたロシアは多民族国家だが、多くはロシア正教(キリスト教)のはずだ、聖書には「汝、殺すなかれ」と書いてあるだろう!