経ヶ岳(きょうがだけ)
今日は晴れそうだったので、佐賀県で一番高い山に行った。といっても1000メートルちょっとだ。登山口の標高が低いので、それなりに登りごたえはある。
経ヶ岳は、佐賀県と長崎県の県境にそびえる多良山系最高峰の山で標高1075メートルの山だ。
1000メートル以上の山としては、最以西らしい。
なかなか風格のある山だ。山頂付近の岩肌を見ると険しそうだ。実は、写真中央から左肩に向かって、谷を登っていく。結構な急登だ。
駐車場も3つあるが、ちょっと厳しそうな登山ルートを選んだからか、この駐車場は下山するまで僕だけだった。
ちょっと厳しそうな”つげ尾”コースを選んだ、最初の写真の向かって左肩付近が”つげ尾”だ。右肩の稜線から登った方がやさしそうだ。
この辺は猪被害が多いらしく、至る所に柵をしてある。この柵を開けていよいよ本格的な登山道だ。
登山道は、基本的には谷づたいに登って行くザレ場だ、見た目以上に急登だった。
体調がいまいちで、ここまで1時間半程度と思っていたが、ペースが上がらず2時間弱かかった。ここまでも急登だが、ここからも急登だった。
山頂付近は、最初の写真の通り、急峻な岩稜帯のため、岩肌をよじ登ることになる。
山頂到着!つげ尾から30分以上かかった。登山口から約2時間半だ。少しかかり過ぎだ。
経ヶ岳というと同じ名前の山が、全国にいくつかある。確か中央アルプスにもあった。
お経の”経”という字が付くので、山岳信仰関係の歴史があるのだろう。
ということでちょっと調べてみた。
経ヶ岳の歴史
江戸時代に作られた大村藩の文献などによると・・・
この山頂には壺に経文(経典)を納めて埋めた所なので、経ヶ岳と名付けられたとのことだ。
何故、経典を埋めたかというと、地元史に「経ヶ岳は大昔、ある時には高くなり、また急に低くなったりと、高低がいっこうに定まらなかった。そういった様々な奇怪なことがあったので、この山頂に経文(経典)を埋めたところ、その後、奇怪な現象は止んだ。」とあるらしい。西暦1781年にある人が頂上を掘って見たところ、壺があって中を見ると経文(経典)があったらしい。(壺が割れ、経典は腐敗してキッチリは読めなかった。)
また、経ヶ岳は火山によってできた山で、多良山系は外輪山で経ヶ岳も外輪山の一部みたいだ。登山口がある長崎県大村市の黒木町は噴火口の跡ということだ。
火口から外輪山に向かって登るんだから急登のはずだ。
山の向こうに見えるのは大村湾だ。
多良岳に向かって縦走した。この縦走路は歩き難かった。滑るし足場が悪い。
経ヶ岳から多良岳の入口まで、2時間近くかかった。最初は階段で登りやすそうだが・・・。
結局、ここも急登だ。
途中に国見岳のピークに寄った。展望もない。
多良岳入口から30分程度で登るが、経ヶ岳からだと2時間半近くかかった。
この社は、多良嶽神社上宮で多良嶽三柱大神が祀られている。展望はほとんどない。
山頂の標識がないので探していると木の上にあった。三角点も探したが見当たらない。少しズレたところにあるのだろう。
金泉寺(日本一古い修験道場)
多良岳入口の程近くにあるが、佐賀県鹿島市の観光マップによると・・
810年頃、弘法大師(空海)が修行し、自ら不動明王を刻んで本尊とし、金泉寺を創建 。縁起書には、修験道場の始まりが金泉寺だと 記されており、真言宗の総本山である高野山からもお墨付きを得ている。また、本堂に奉られている千手観音像 は中国から渡来され、唯一日本に残っているもので国宝級だといわれている。
国宝ではなく国宝級だと・・? 書きぶりからして、ちょっと怪しいが、真言宗のお寺ということで、参拝者も多いらしい。
下山も基本的に谷沿いを下るので、水分補給ができる。
下山してきたが、普通は、ここに止めて僕が下山してきたルートで多良岳に登ったり、別のルートで経ヶ岳に登るのが一般的なようだ。
第1駐車場の写真を撮り忘れたが、道路を手前に走った突き当たりに5〜6台程度の第1駐車場があった。
登山アプリのGPSログ
8時頃に登り始めて、下山したのが15時過ぎ、休憩が合計1時間強で山行が6時間弱だ。7時間以上も山にいた。
まとめ
佐賀県側からの方が登りやすいみたいだ。長崎県側からは急登だしザレ場で登りにくい。縦走路も滑るし歩きにくい。2〜3度は滑って尻もちつきそうになる。
ここには”ツクシシャクナゲ”や”オオキツネノカミソリ”の群生地があるらしいので、登山の季節としては、ツクシシャクナゲの時期のゴールデンウィーク前後、オオキツネノカミソリの時期の7月中旬から8月上旬か、秋の紅葉時期だろう。梅雨時期の見所は何もない・・・。
山に見所がないので、道端の見所を探してみた!
道端の紫陽花
ツタが絡まったテレビアンテナ
梅雨といえばサワガニ!
田んぼの風車